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2013年2月4日月曜日

原発をめぐる政治①――3.11までの年表

2013年2月4日に作成した年表。メモ
左づめは、マクロなレベルでの動きを、右づめは、反核・反原発運動の動きを記すこととする。

  
 前史 電力レジームの形成――――――――――――――( 1983-1952 )
  • 1983 日本で最初の電力会社、東京電燈が設立
  • 1887 日本橋に発電所が設立
  • 1896 電気事業取締規則(逓信省が管轄)
  • 1907頃 電力会社は全国で100社以上[佐高、39頁]
  • 1932 800社以上が乱立し、競争は激化[佐高、39頁]
資 本主義は、不平等と堕落した拝金主義者を生むばかり、国歌を統制するためには自由を規制する管理、統制が必要だという考えが、官僚たちを支配しつつあっ た。ヒトラーとスターリンという右と左の独裁者は、その巧みなプロパガンダと統制戦略で、自国民の洗脳だけでなく、他国の革新派にも多大な影響を与えてい たのである[佐高、43頁]。
  • 1938 国家総動員法および電力国家管理法が成立
  • 1939 国営電力会社、日本発送電株式会社(日発)が設立
  • 1941 配電統制令が公布。五大電力が解散、あらたに9配電体制が規制。以後日発と連携し配電事業をすることになる。
  • 1945 広島および長崎に原爆投下、終戦
  • 1947/05 日本電気産業労働組合(電産)成立
  • 1948 冷戦の影響によって、アメリカの占領政策が転換する(戦後の民主化から逆コースへ)
  • 1949/01/?? 共産党が総選挙で4議席から35議席へと躍進
  • 1950年代 中曽根と原子力の邂逅
  • 1950/08/13 電産内の反共勢力民同派が集会。「日本共産党の発電所破壊を吾等の手で守れ」などのスローガンを承認
  • 1950/08/26 レッドパージにより、日本発送電の職員らからなる日本電気産業組合(電産)の組合員2137名が解雇
  • 1950/11/?? ポツダム政令により電気事業再編政令と公益事業令が発令。電力再編成案を実施するために、総理府外局に公益事業委員会が設立
  • 1951/05/?? 9電力体制が成立(1972年に沖縄電力が加わり10電力体制)。
  • 1952 公益事業委員会が廃止
  • 1952/07/?? 電源開発促進法が成立
  • 1952/08?? 経産省主導で電源開発(電発)の設立。出資は、政府が99%、9電力が1%


第1期 冷戦と核兵器の論理――――――――――――――( 1953-1969 )
  • 1953 国連総会で、アイゼンハワーが "Atoms for peace”演説。
  • 1954 原子力予算を盛り込んだ、保守三党(自由党、改進党、日本自由党)提出の予算案が成立。原子炉築造予算約2億3500万円
  • 日本学術会議が公開、民主、自由の3原則を総会で可決
  • 1954 第五福竜丸ら被曝
  • 1954/05/??  国務省極東曲が日本の情勢を分析し、アイゼンハワーに報告。打開策として賠償、情報提供、遺憾表明らを提起。
  • 1954 第二組合である全国電力労働組合連合会(電力労連)が発足
  • 同年                        原水協成立
  • のちに自民党・民社党の脱退
  • 1955/10/23 左右社会党統一
  • 1955/10/?? 東電社長室内に、原子力発電化の設立
  • 1955/11/15 保守合同で自由民主党結党。国務大臣兼北海道開発庁長官で正力が入閣。
原 発の惨劇の記憶は生々しく、世間の原子力への警戒感は強い。そこに第五福竜丸の被曝事件が起き、原水爆禁止運動は、「反米の火の粉を巻き上げ、燎 原の炎のように拡がった。政官財の親米派は、運動にソ連共産党の平和攻勢による革命戦略の匂いを嗅ぎとり、日米関係の破綻を怖れた。被曝船員をスパイ呼ば わりしたワシントン政府も、憂いを深める。日米関係を修復しなくては、原水禁運動に乗じて革命が起こる、と……日米関係が激しく軋んでいるさなか、大衆心 理の操作で天才的手腕をもつ経営者〔正力松太郎〕が政治の舞台にせり上がってきた[山岡、56頁]。
  • 1955 原子力博覧会 原子力の「平和利用」論の興隆。
原 子力に反対する人たちに反米というレッテルを張って、民主的ならざる方法で社会的な圧力を加えていきました。こうしたイデオロギーの対立の構造を作ったこ とで、多くの人たちの間に原発に反対すると不利益、社会主義者と見なされるかもしれない……という暗黙の悪印象が刷り込まれました。もちろん社会主義者側 からは猛然と反発があい、その反発から反核運動はさらに過激になりましたが、逆に過激すぎて、一般の人たちはついていけなくもなりました。…………こんな ふうにして、わずか一年ちょっとで反核の世論が静まり、原子力はあっという間に日本に導入されましたから「平和で安全」でなければ異なるのです。政府は 「絶対に安全」というアメリカの使節団の言説を支持したのですから、もし安全でなければ国民を欺いたことになります。新聞もそうです。それゆえ、危険性の 検証はされにくくなりました[田口ランディ、122-123]。
  • 1955 超党派の原子力合同委員会が設置。委員長は中曽根。
  • 1955/11/?? 日米げんしりょく協定の締結に基づく濃縮ウランの受け入れ期間として原研が発足
  • 1955/12/16 原子力三法成立(原子力基本法、原子力委員会設置法、総理府に原子力局を設置するための総理府設置法改正
  • 1956/03/?? 利益団体として日本原子力産業会議(原産)が、9社の寄付金で発足した電力中央研究所、有力企業、経団連の衆道で、発足。
  • 1956/03-04 科学技術庁設置法、日本原子力研究所法、原子燃料公社法成立
  • 1957/11/?? 電発2割、民間8割の出資で日本原子力発電株式会社(日本原電)が設立
*1と2分の1体制下(自民党と社会党の二大政党制)における原発の推進
い ま思えば奇妙な共闘である。 1955年8月、ジュネーブで開かれる国連主 催の「原子力平和利用国際会議」に出席するため、超党派の国会議員4人が羽田 空港を飛び立った。民主党の中曽根康弘(当時37)、自由党の前田正男(同42)、右派社会党の松前重義(同53)、左派社会党の志村茂治(同56)。 「自主憲法制定」を唱える中曽根と「非武装中立」を掲げる左社の志村の両極を同席させた立役者は、技術官僚出身で逓信院総裁を務めた右社の松前だっ た。……資源不足の日本は原子力の平和利用を進めるべきだが、愚かな政治家が軍事利用に走らぬよう歯止めをかけねばならない。松前はそう考え、基本法に 「平和目的に限定」の文言と、「自主、民主、公開」の3原則を盛り込むことを強く主張し、実現させた。……保守合同と左右社会党の統一で自民、社会両党が 誕生した直後の55年12月。原子力基本法は、両党所属の全衆院議員による議員立法として国会に提出され、答弁席には「四人の侍」のうち中曽根と志村が並 んだ。社会党にはなお原子力の軍事転用への警戒が残っていた。志村は前年発足した自衛隊を引き合いに「憲法が第9条を決めていてもなおかつ軍隊ができる。 時の政治権力によってある程度(基本法の精神が)歪曲(わいきょ)という明確な表現ではなく、「平和の目的に限り」としたのか。社会党議員の質問に対し、 中曽根は「消極的否定 より、積極的肯定、前進する構えのほうが、新しい処女地を開拓する表現としていい」と答弁。志村も「否定的な言葉を使うより、積極的な平和利用だ、大いに 開拓して経済力を増進するのだという意欲の方が強かった」と続いた。[〈原発国家〉社会党編 ]。
  • 1960
  • 1959-60                   日米安保改定反対闘争
  • 1964                    原水協から共産党が脱退、原水禁を結成
  • 1964 中国が核実験に成功
  • 1965                                                           べ兵連が運動体として立ち上がる。
  • 1965 佐藤政権発足。佐藤「中国が核兵器を持つなら日本も持つべきだと思う」。
  • 1966 最初の所業用原子炉が原電によって東海村で運転開始
  • 1967 動燃の設立
  • 1960代 安定政権と高度成長
  • 1969 防衛省秘密文章「わが国の外交政策大綱」策定
*「わが国の外交政策大綱」
当 面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(能力)は常に保持するとともにこれに対する掣肘(周囲からの干渉)をうけな いよう配慮する」。「核兵器の一般についての政策は国際政治・経済的な利害得失の計算に基づくものであるとの趣旨を国民に啓発する」。[山岡、 123-124]

第2期 開発・エネルギー安全保障・新保守主義の論理――原発をめぐる政官財関係の確立(1970-1990) 
  • 1972 田中角栄政権成立
  • 197? 後援会体制の構築。利益誘導構造の確立。土地ころがしと原発の用地買収。
  •                                                                           各地での反対運動がその後展開される。
  • 1972 ニクソンとの対談で濃縮ウラン10年分購入が決定
  • 1972 党対会において社会党が原発反対路線を採用
社 会党が正式に原発反対に転換したのは、72年の党大会だ。19の地方本部が共同提案した「原発、再処理工場の建設反対運動を推進するための決議」を満 場一致で採択した。……社会党は69年総選挙で自民党の3分の1の議席に落ち込んでいた。党勢回復を目指し、全国各地で高まりつつあった反原発運動との連 携を目指した[朝日新聞 〈原発国家〉社会党編(中)]。
  • 1973 フランスから濃縮ウラン購入
  • 1974 石油ショック
  • 1974 東電会長の木川田一隆は参院議員市川房枝に直接会い、自民党への政治献金中止を約束した。公益企業の献金に反発する「1円不払い運動」の拡大を懸念、業界を守るためだったが、献金は役員個人の名義に姿を変えて続く。http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_34.html
  • 原子力資料情報室設立
  • 1974 電事連に原子力広報専門委員会
  • 1974 電源3法成立

74 年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故を受けて、政府は原子力行政に住民の声を反映させるとして「公開ヒアリング」を始める。だが陳述者は地元住民 に限られ、陳述の内容は事前に審査された。社会党は「原発建設を前提としたアリバイづくりだ」と反発しボイコットを呼びかける。…社会党のボイコット戦術 は機動隊に囲まれる 物々しい運動へと先鋭化し、一般大衆とますます乖離(かい・り)していく。政府主催のヒアリングは、原発推進のセレモニーとして利用され続けた[朝日新聞  〈原発国家〉社会党編中]。

  • 1978 通産大臣が電力9社と電源開発に約三兆円の予算から5兆円に引き上げるように要請[斎藤、218]。
八 〇年代には、大学は安穏とした平和の中にあり、日本は高度成長の頂点に達しようとしていました。私の世代には、自由主義・資本主義に文句を言う人はごく 少数でした。良い大学に入って、一流企業に就職すれば一生安泰だと、本気で信じられた時代だったのです。しかも好景気で企業はどんどん人材をほしがってい ました。私には、前の世代がいったい何を革命したかったのか……それすらわかりませんでした。/会社員になって高給をもらいながらお酒の席で「労働者の権 利」や「社会的貧困」について語るかつての全共闘世代には違和感を覚えました。それはあまりに口ばっかりのきれい事だと感じたのです。「闘争」や「革命」 という言葉も絵空事に感じ、そういう単語を使う人たちに対してうんざりしていました。言葉と行動が矛盾しているように見えたからです[田口ランディ、 45-47]。

  • 1983 青森に核燃料サイクル施設を作ると中曽根が発言。
  • 198? 財界もからんで青森に原発用地買収
  • 1970-1985? 放射性廃棄物を、北緯30度、東経度付近の深海底に投棄する計画。ただし、サイパン、グアム、パラオ、キリバス、ナウルなど太平洋諸国の反対で日本側が断念[cf. 斎藤、96頁]。
  • 1986 チェルノブイリ事故
  • 同年                       たんぽぽ舎発足
  • 1986 広瀬隆の『危険な話』がベストセラーに
  • 1987 日米原子力協定改定(2018年まで。プルトニウム保持を個別同意から包括同意へ)
  • 1988                        「脱原発法」制定を求め、署名活動の開始。
  • 1990-1991                     計約330万人分の署名とともに国会に請願を提出。

第3期 エコロジーと原子力ビジネスの論理による原発の神話化――省庁改編と政治の後退――――
  • 1994年 自社さ政権が原発容認 原発については特に論点にならず。 
  • 1995年 もんじゅ、ナトリウム漏れ事故
  • 福島県知事らの要望を受けて円卓会議が設置
  • 1999年 東海村JCO臨界事故
  • 北海道電力泊原発3号機の増設の是非を問う道主催の会合を前に、北電が工作http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_37.html
  • 2001 省庁改変(橋本改革)により科学技術庁が解体され、経産省に原子力安全・保安院が設立
  • 2001/09/11                                                        以後反戦運動が広がる。原発との連動はなし
  • 2002/08/?? 東電のデータ改ざんが発覚
  • 2002/12/??
  • 2002-2003 公正取引委員会のような強い独立性と規制権限を持った「原子力安全規制委員会」を創設すべきだとして、民主党・共産党・社民党が法案を共同提出
  • 2003/02/?? 総合資源エネルギー調査会電気事業分科会の答申「今後の望ましい電気事業制度の骨格について」が提出。
  • 2003 電力部分的自由化
  • 2004 経産省内で核燃料サイクルに疑義を呈するペーパーが出回る
  • 2006/12 共産党議員の質問に対して、安倍首相は「日本の原発で電源喪失はない」と回答。
  • 2006 民主党が原発容認へ
  • 2006. 2007 保安院が中部電力にやらせ依頼 http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011072901000474.html
  • 2009 政権交代 公約で「原子力利用に着実に取り組む」と明記。鳩山「原子力はCO2を減らすには欠くことのできないエネルギーだ」[山岡、218頁]
  • 2010 ベトナムへの原発輸出が合意
  • 鳩 山由紀夫首相は6日午後、政府が今国会に提出する予定の地球温暖化対策基本法案に関し、「原子力は、地球環境を守る、CO2(二酸化炭素)を減らすた めには欠くことのできないエネルギーだと理解しているから、基本法の中でも位置付けていきたい」と述べ、原子力発電所の利用を明記する意向を示した。ただ し、連立相手の社民党は疑義

*その他重要ニュース
  • 自民党への献金http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011072201000982.html
  • 班目安全委員長ら24委員に原発マネー1億円三菱重工業など24企業・団体(赤旗)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-05-11/2012051101_01_1.html
  • メディアへの宣伝:「電力10社の有価証券報告書によると、マスコミ広告費のほか原発のPR施設の運営費などの経費も加えた「普及開発関係費」は、10年度だけで計約866億円にのぼる。電事連の広告宣伝費は、過去5年平均で年約20億円」http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_36.html
  • 2010年参院選での圧力 http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_39.html
  • 天 下り報道:「電事連の10社が経産省や前身の通商産業省から受け入れた天下りは過去50年で54人。電力社員を役所に出向させる"天上がり"で労働力を提 供する。東 京電力は00年以降、内閣官房や文部科学省などへ23人を送り込んだ。前資源エネルギー庁長官の石田徹は11年1月に批判を浴びながら東電顧問に就任、原 発事故後の4月に退職した」。 http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_35.html
  • 原発給付金事業、22年間独占 経産省OB天下り法人 http://www.asahi.com/national/update/0103/OSK201301020115.html
  • 役 員らによる自民党および電力総連による民主党への献金:「たとえば、電力会社は電気料金を値上げしてもらうために自民党に献金を行っているという世論の批 判を受け、オイルショック以降、企業献金を止めま した。しかし、実際には各電力会社の役員が、個人献金の形で自民党に献金を続けてきたわけです。その結果、自民党の政治資金団体である『国民政治協会』が '09年に受け取った個人献金のうち、実に7割以上が東電など電力会社役員からです。そして、民主党には電力各社の労組である電力総連 (全国電力関連産業労働組合総連合)の政治団体とその関連団体から、党本部や所属議員に'07 年~'09年の3年で約1億円、'10年にも党の県連、国会議員、地方議員に約1億2000万円の献金が行われています」(電力業界担当記者) http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32750

参考文献
*政治過程
  • 斎藤 貴男 『「東京電力」研究 排除の系譜』、講談社、2012
  • 佐高 信『電力と国家』、集英社、2011
  • 本田宏『脱原子力の運動と政治』――日本のエネルギー政策の転換は可能か』、北海道大学図書刊行会、2005
  • 山岡淳一郎『原発と権力――戦後から辿る支配者の系譜』、筑摩書房、2011
  • 吉岡斉『新版 原子力の社会史 その日本的展開』、朝日新聞出版、2011
  • 朝日新聞「〈原発国家〉社会党編(上・中・下)」 http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/d63190e5c72781afef53929e8a46a202
  • 47news「原発と国家」http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/vol01.html


*イデオロギー
  • 上丸洋一『原発とメディアーー新聞ジャーナリズム2度目の敗北』、朝日新聞出版、2012
  • 高木 仁三郎『原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』、講談社、2011
  • 田口ランディ『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本』、筑摩書房、2011
  • 山本明宏『核エネルギー言説の戦後史1945-1960――「被爆の記憶」と「原子力の夢」』、人文書院、2012

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